浜松の町工場から世界的メーカーへ
街が焼け野原と化した太平洋戦争後、浜松市出身の本田宗一郎は、木造バラックに本田技術研究所を設立。ここを出発点として、日本初の原動機付自転車やオートバイを次々と生み出しました。彼の活躍に影響され、浜松市内には30社以上のバイクメーカーが誕生。その中でも鈴木式織機が開発した自転車補助エンジン、日本楽器製造(のちのヤマハ)が完成させたオートバイが爆発的ヒット商品となり、各社が世界的ブランドへ成長していきました。逆境からものを生み出す力、その精神がこの街に生きています。