スズキの歴史

織機から製造オートバイへ

織機機械メーカーとして明治42年(1909)創業の鈴木式織機は、終戦の日から1カ月後の昭和20年(1945)に、本社を相生町から可美村高塚へ移転しました。

のちに第二代社長になる鈴木俊三が、「好きな釣りに行くのに、自転車にエンジンが付いていたら楽だな」という発想のもと研究開発が開始されて、昭和27年(1952)に排気量36㏄の自転車補助エンジンのパワーフリーを完成、販売しました。当時の浜松でのオートバイメーカー濫立期の中、昭和28年(1953)に排気量60ccのダイヤモンドフリーが開発、生産されました。

スズキ ダイヤモンドフリー(1953)

ダイヤモンドフリーは、その年の富士登山レースに優勝、北海道、鹿児島間3000kmの無故障走破で、人気を集めました。昭和29年(1954)にはコレダ号を開発し、オートバイ製造に乗り出し、社名も鈴木自動車工業へ変更しました。

平成2年(1990)にはスズキに社名変更しました。現在、国内での二輪生産は主に静岡県の浜松工場で行っています。

中央区相生町の鈴木式織機本社跡地は、現在浜松東警察署となっています。スズキ本社前の中央区増楽1301には『スズキ歴史館』があります。

スズキ株式会社:http://www.suzuki.co.jp/



スズキ 二輪関連歴史画像

スズキオートバイ歴史年表

※本年表は『国産二輪車物語』三樹書房・『浜松市制80周年記念誌』を参照しました。